レストラン


昼と呼ぶには遅すぎて、夕方と呼ぶには日が高い気がする日中。

休みだったのでレストランに来たのだが、僕はなんともいえない状況に置かれていた。



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「じゃあ日替わりのAセットください」

と、彼女がその、少々高めの声で言う。



お互いに不定休な為、その日は随分と久しぶりの二人きりの休日だった。

そういうわけで、ぶらぶらと買い物(と言っても、専らウィンドウショッピングだが)をし、彼女が予てから目を付けていたこのレストランに食事に来ている。

どうやら、このレストランに来るのが相当お楽しみだったらしく、メニューを見ながら「ここのアラビアータは絶品なのよ」だとか「クリームソースはちょっと時期ズレな感じよね」とかはしゃいでいた。



其れは良い、其れは良いのだ。





先に言っておくが、僕は「炭水化物を主菜として炭水化物を食す」という行為がどうしても理解できない。

掻い摘んで言うと、関西人に良く見られる(こう言うと関西人を否定するようだが、断じて違う)「お好み焼きをオカズにして白米を喰う」という奴。

其れこそ、これが日常に成っている人ならまだしも、僕にはどうにも「炭水化物を侮辱している」ようにしか思えないのだ。





そして彼女が頼んだのは「Aセット」。

この「Aセット」とは「日替わりのスパゲティにパンとドリンク」のセットの事だ、因みにドリンクは300円以下のものをメニューから選ぶ事に成っていた。

僕が何が言いたいか分かるだろう、つまり彼女は「スパゲティ(炭水化物)でパン(炭水化物)を食べる」という選択をしたのだ。

これは由々しき事態だ、彼女と僕の好みはバッチリ合致していたと思っていただけにショックは大きかった。



――まさかゆかりがお好み焼きでご飯を食べれる人間だったなんて――



でもまだ希望は有った、先ほど「300円以下のものからドリンクを選ぶ」と記したが、この店ではスープもドリンクと換算されるのだ。

そしてほとんどのスープが300円を大きく上回る中、唯一280円にその身を止める猛者が有った。

ミネストローネだ、さっきメニューで見て「安いな」と思ったから間違いない、何しろコーンスープ(320円)より安いのだから。

彼女がこのミネストローネを頼みさえすれば任務完了ミッションコンプリートだ。



――神よ、もしいらっしゃるのなら彼女に一言「ミネストローネ」と言わしめ給え!!――



僕はただミネストローネの神様に祈るしかなかった。



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「それではお飲み物は何に致しましょうか」

ウェイトレスが腰を少し屈めてメニューを開く。

「こちらの中で、300円以下のものをお選び下さい」

遂に来た、さぁ言え!ミネストローネと言うのだ!!



「じゃあコーヒーで」

え?待て待て、待つんだゆかり、そこはコーヒーじゃない、ミネストローネだ。ひょっとして読み間違えたかな?ミネストローネだよ、み・ね・す・と・ろ・ー・ね。さぁ言ってご覧?み・ね・す…

「いつお持ち致しましょうか、お食事の前ですか?それとも…」

違う、違うって、そこは「え?お客様ミネストローネの間違いでは…」と正すところだろう。確かに客商売とは難しいものだ、増して相手が間違っている時は尚更。しかしそこは心を鬼にして、他ならぬお客様のために間違いを間違いだと言える勇気が必要なんじゃないだろうか、それこそが接客業、それこそが…



「食後にお願いします。マサキ、アナタは何食べるの?」

「あぁ、じゃあ僕ペペロンチーノ、それとレモンティーを食後に」



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それから料理が来るまで他愛も無い話をした、ただ彼女が「たまたま休みが平日でよかったね」とか「さっきの子犬可愛かったねぇ、コッカースパニエルだったっけ?」とか話しかけてきても、一向に僕の思考を動かしはしなかった。

一体ゆかりは、その献立の中で唯一余剰してしまったパンをどうやって処理するのだろう、その事で僕の頭は一杯だった。

今から考えれば、この頃にはとっくに僕の脳は麻痺していたらしい。



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ゆかりの話す、彼女の友人のその又友人の結婚談が佳境にに差し掛かったところで、満を持して料理が運ばれてきた。

まずは彼女のアラビアータ、正確にはペンネ・アラビアータ。

唐辛子を効かせたトマトソースが、爽やかな香りを皿の上に浮かべていた、彼女が言うだけあって確かに美味しそうだ。

そして僕のペペロンチーノ、こちらもニンニクの匂いが食欲をそそる、唐辛子も見た目多目で僕好みだ、余談だが彼女と僕は「唐辛子好き」という点でも合致していた。



そして遂に来てしまった、少々強めに焼いたらしく、普通よりこんがりした、香ばしいロールパン。

見るからにパンだ、美味しそうだが今はコイツが憎い。

そもそも、何で「Aセット」なんてものがあるんだ、ここは関西人がオーナーなのか、それともスープで食べるからパンを用意したのか、どちらにしたって何だかイライラする。

ていうか、スープとパンなら「Bセット」についてるじゃないか、一体なんなんだこの店は。



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ゆかりが、彼女の友人のその又友人の結婚談を再開し始めてから早20分。

ゆったりと食事をしてはいるが、お互いの料理は既に折り返し地点を過ぎている。

ゆかりは一体どうやってパンを食べるつもりなのだろう、それが気になってペペロンチーノどころではない・・・が、ペペロンチーノは美味かった。



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さらに10分、いよいよもうペンネ・アラビアータは無くなってしまう。

その頃にはもう、僕のペペロンチーノは一切合財胃の中に納まり、食後のレモンティーを啜っていた。



さぁゆかりさん、見せてもらおうじゃないか、アナタが頼んだそのパンの行方を!



何て考えていると、彼女がおもむろにパンに手を伸ばした。

さぁ、どうする…というかもうペンネは無い、残った手と言えばそのまま食べるか…あ!



僕が答えに気付いたのと、ゆかりがそれを実践したのはほぼ同時だった。



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彼女はバスケットからパンを取り出し、それを小さくちぎると、それをペンネ・アラビアータの残ったソースにつけた。

…考えてみたら当たり前だ、まさか焼きそばパンでもあるまいし、残ったソースをパンで食べるのはよくある、というか僕でもパンがあればそうする。

今回は「Aセットそのものの存在を疎んだ」のと「バッチリ趣味が合うと思っていた」という二点において、僕の完敗だ、盲点というか、灯台下暗しというか…。

そんな、がっかりしてるんだか安心してるんだか良く分からない表情をしている僕に、彼女は優しく笑いかけた。

「どうしたの?ペペロンチーノ、あんまり美味しくなかった?」



「いや、美味しいよ、又来ようか」



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店を出る頃には、春の終わりと言えど、うっすら肌寒くなっていた。

「マサキってさ、本当ペペロンチーノ好きだよね」

「ニンニクと唐辛子が好きだからね、ぴったりなんだよ」

なんだかそわそわする空気の中、僕達は浮かれて歩く。

「…マサキ明日休みだよね」

確かに休みだ、と僕は頷く、そこで大体気付いた。

「私も明日は遅番だからさ、だから…」

「そうだね、今日はウチにおいでよ、この前買ったワインも有るし」

そこから先はマナーだ、…とりあえずワインに合うチーズを買って帰ろう、マナーを実践するのはそれからでもいい、明日は休みだし。



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そんな事が一週間ほど前にあって、僕はまた同じレストランに居た。

しかし目の前の女性はゆかりじゃない、仕事先の同僚で、いわゆる浮気相手という奴だ。

ただ、この時点を持って浮気関係は解消される、理由は彼女のほうが嫌に成ったからだ。

だから後腐れも無い、ただ、何に怒ったか、ろくに話もしないまま彼女は帰ってしまった、席には僕だけが残される。

ウェイトレスがメニューを持ってやってきた、が、僕の注文はもう決まっている。



「Aセット、それと食後にレモンティーで」



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しばらくして料理が運ばれてきた…が、僕はその内容に絶句した。



おいおい、なんだいこりゃあ。

運ばれてきたのはペペロンチーノだった。